工作の域を出ない

PXL_20230406_144910700.PORTRAIT~2

会期日程

5/15(月)~5/22(月)

※日曜休廊

開廊時間

10:00~18:00

作家名

菊地虹

ステートメント

「工作の域を出ていない」
意欲作だった卒業制作を前にして、尊敬する大学の教授に言われた一言だ。叱責の言葉だったのかもしれない。しかし、私はその一言で、不思議と気が楽になったのだ。「そうか、私の作品は工作の域を出ていなかったのか」

この気付きは、とても大きなものだった。思えば、生まれて初めて触れたアートと考えられるものは、幼少期にありふれた素材で遊んだ、工作と呼ぶべきものであった。それが画塾や大学に通い、西洋画に興味を寄せ学ぶなかで、紙を切り貼りし、クレヨンを塗り込んで遊んだ記憶よりも、いつからか崇高性の高そうな艶のある立体的な描写がなされたそれがアートの本流だと考えるようになっていた。私の作品の前提に、私の経験や出自とは本来関係のないものを当然のように据えていたわけだ。
学部4年生の頃、画家を本業にしたいと本気で思うようになった。そして、これから専門家として活動していくことを考えたとき、このままでは何かが足りないと茫漠ながら痛切に感じていた時期であった。卒業制作に向けて日々習作に取り組みながら、今まで妄信的に学んでいたクラシカルな油彩画を離れ、自らの本来的な感覚や思考の癖を突き詰めていった。その結果、私の作品はだんだんと変化していった。色彩は軽くて安っぽい折り紙色になり、紙やコルクをちぎって糊で貼り付けるようになり、写実的な描写表現は失われ落書き調になって、極めて平板で艶のないチープな画面へと変わっていった。
自分の中でも、夢中で描くさながら、そのように作品が変化していくことを不思議に思っていたのだが、なるほど、これは幼少期の工作の感覚が浮上してきたのか、と教授の言葉を聞き、とたんに合点がいったのである。私の作品の前提にして本流は、なんてことのない落書きや素材遊びなのであった。
それからは、いわゆるハイカルチャーなアートではない、ポップカルチャー、フォークアートに類する作風で制作してきた。その際、絵画作品の平板な表面で、ありとあらゆるバラツキが等価値に扱われることが自分の美意識と重なるところから「SPECTRUM」という言葉を用いるようになった。これは分散光という意味で、様々な素材や文化を横断し一緒くたに扱う私の作風を示すのに適していると考えた。また、ノートに書く落書きのようなものを、プロジェクターで投影してキャンバスに転写し、それに影をつけてイリュージョンを与える「DOODLE」シリーズは、非専門的とも言える単純な描画を、西洋のアカデミックな裏付けを与えて作品化する試みだ。

近年徒然なるままに制作してきた、現代美術や西洋絵画の衣をゆるりとまとった、いわゆる造形による遊びの産物であるこれらはすべて、工作の域を出ないものである。しかし、私はこれらの名もなき表現物がどうにも気になって仕方ないのである。

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